死にたい

ここ一週間くらいずっと死にたいの方に針が振れ気味で仕事中に今日帰り特急電車に飛び込んだら明日自分の工程はだれが入るのかなとかスマホでみたエロ動画の履歴とかみられちゃうのかなって妄想している。まぁでもそんな確固たるものではないのか、仕事が終わりお風呂に入りご飯を食べてる頃には明日のために寝てる。まずごはん食べてる時点で生きる方向に頑張っちゃてるじゃん!身体は正直なんだねって感じなのだけども。もともと死にたいも生きたいも共存する感情だと言ってたし。8月31日のハートネットTVでの大森靖子さんが。ただ漠然と死にたいっていう戸口の広い言葉で感情をあいまいのままにしておくのは、たぶんなんの解決にもならないのでちゃんと言語化してみようと試してみるけど無理かも。ただただ明日が来てほしくない、仕事に行きたくない。こんな仕事自分がすることじゃない、何のために一生懸命受験勉強してたんだよwみたいな、周りを下に見てる感が根底にあるのでまずそのくさった根性を直さないと無理なのかもしれない。だって私と同い年で同じ職場で普通に働いて(精神的には)健康でいる人が何人かいるし。下に見てる感、は結果だしてる人が醸してるとかっこいい感あるけど、まだなんも成果だしてないのにこうやってブログでこんなにつらいのに頑張ってます!!!!!ってアピールしてるやつなんかがもっていてもほんとにダサいというかやめてしまえって感じだ。まぁ実際実のある会話なんてできないから小学生のように糞尿の話やテレビの話とか窓口の広いだれも妨げられない会話で毎日やり過ごすしかない。タバコもパチンコも賭け事もしないんで。周り下に見てる感はあるのだけど、それとは別に他人との比較(職場の人たちではなく現役、予備校時代の友達)のなかで死にたくなることもある。というかむしろこっちの方が多い。大学生、という肩書に自分の理想像を重ね合わせちゃうから待ちゆくきらきらした若者全員が敵に見えて辛い。こういう話をオブラートに包んで大人に話すと大学なんかじゃなくてもっと大きな夢見ろよって言われる。うるせぇなマジで。お前が高卒だからってその価値観押し付けてんじゃねーぞ。これよく自己肯定感が弱い~みたいなあんたが私の何を知るって感じの解説されるやつだけど、自分の場合同時に、周り下に見てる感も兼ね備えてるわけで、これは傲慢だけど自分が結構高い位置にあるじゃんって思う。自己肯定感が高いのか低いのかわからんなこれは。

ごまかし

今日こそは、とおもってた。寮に戻ってごはん食べたら落ち着いちゃったので惜しいことをした。いくらメンタルでごまかしをしても無駄。メンタルとはすなわち、物の見方をかえてみましょうね~って言われることなので、いくら違う側面から見ても現実は現実なのだ。やはりそれを受け入れるか受け入れないかの差なので、メンタルでごまかしが効いてるうちはまだ大丈夫だと思う。でももうごまかしに気づけるくらいには大人なので、無理やり納得させるマシーンとかありのままを受け入れられる心矯正マシーンをくれ。本当に現実は思考だけで変えられるものではないので頭がおかしくなりそうだ。現実というかお金ね

持たざる者

 

季節の変わり目は、毎回馬鹿の一つ覚えみたいに風邪をひく。バファリンをブチ込むために空腹ではダメなので食べる気力もないカップラーメンでお腹を満たす。明日までに治ってくれ。

ブログを始めたきっかけの一つに、今住んでる寮にネット環境を整えることができたからってとこもある。ソフトバンクAirというものを契約したからだ。家族全員ソフバンでスマホを持ってるおかげでほぼ追加料金なしで契約ができるのを知りショップに行ったのだが(だいぶ前の話)、「家族割」という単語に違和感を覚えつい、もう家族なんかじゃないんすけどね~~ってボケたらお姉さんの笑顔を曇らせることしかできなかったので後悔している。

いまどきそんな(ザックリと)家庭の事情とかって珍しい話なんかじゃないことはよく理解している。むしろ願書の行きを2重線で消して御中にしたり、チャイルドシートは運転席の後ろが基本ってことが分かっていたり、なんかパッとは思い出せないけどある程度ラインの常識はクリアしてる家庭に育ったんだなと感じる。周りが大学進学が普通って層に居たときに比べ、田舎の自動車工場に勤めるようになって特にそのカルチャーショックのようなものを感じる。カルチャーショックというかむしろ、こんな奴隷みたいな仕事が日本にまだあったのか!とさえおもったのだ。誤解してほしくない。これは自分の優位性を主張して比較してマウントとろうとしてるわけではない。むしろ今までの自分世間見えてなさすぎだろって感じなのだ。それすらも間違いなのかもしれなくて、たぶん見て見ぬフリをし続けてたんだろうな。

小説家の西加奈子さんがよく話す話で、子供のころ駐在員の娘として外国に行った際、自分はその国ではお金持ちでも、現地の子たちは貧しい暮らしをしてるのでそれに対して羞恥心とか罪悪感があった、そう思うことすら傲慢なことだけど...みたいな話がある。

たぶん「普通」の暮らしをしてたときは、たとえば団地に住んでるから家に遊びに行かせてもらなかった友達とか、部活で使う道具が新品じゃなく先輩のおさがりだった友達に対してこんな気持ちをもってたんだろうな。で、そういう感情を持つことすら傲慢なので目を背けてた。いまこうして持たざる側に落ちて思うことはとにかく辛い。こんなことなら生まれたときから持たざる側でありたかった。それなら 持ってる 側の喜びなんて分からなかったのだから辛さも少しはマシだったかもしれない。

やすみがつらい

1000円でナンがおかわりし放題のインド料理やさんにいった。休日がつらい。もちのろん平日だって辛いけど会社行かなきゃ!って存在してられる目的があるので感情を殺し続けていれば辛さを忘れられる。でも休日は、例えば美味しいもの食べたり友達と会ったりしても、心の裏でもう一人の自分が「なに高卒の浪人の非正規雇用の分際で生活をより良いものにしようとしてんだよ」って囁きかけてくるんですね。一昨年とかまだ普通に純浪してた頃から 何してても心に十字架抱えてる感 はあった気がするけど最近それがより顕著になってきてる。たぶん今この状況でバーベキューなんかしちゃったらもう一人の自分に殺されちゃいますね。「休日はバーベキューとかして友達と集まるのが趣味です!マジ卍~(趣味とはいいつつも今シーズン1回もBBQしてない顔)」ってタイプではないのでその心配は薄そうですが、その感覚が自分の趣味にまで及んできていて楽しいことが奪われちゃうのは怖いな~って感じだ。
東京新聞のほっとwebで連載されてた加藤千恵さんの東京23話を読んでたらそのページに「こぼれ落ちて季節は」って本の広告が打たれていたので購入してさっそく読み始めた。カトチエさんが昔やってたラジオの大ファンだったのでラジオラジオラジオ!は読んだことあったけどほかの作品は手を出したことがなかったのでいい機会かと。でもここで心の十字架が騒ぎ出すんだな。短編の恋愛小説集なのだけれど、読み進めるうちにこんな田舎の自動車工場でお金貯めてる自分と、東京で学生して青春してる人間関係たのしんでる(苦しんでる)登場人物たちとの比較でなんかしにそうになった。あ、これ俺が経験するはずだった話じゃ~~ん!みたいな。前はあまりこういう読み方しなかったのに読書という趣味にまで十字架が侵略しつつあるのはキツイ。ICBMも真っ青な侵攻能力だ。いったんこの本はわきに置いて(カトチエさんごめんなさい)西加奈子さんのさくらを読みます。
今週は早番週なのでモヤさま見て大河みたらすぐ寝なきゃ(4:30起き)なのにもう22時だやばい。とりあえず今週1週間は毎日更新するつもりで始めたけどたぶん無理

初ブログ

初ブログ(大嘘)です。思えば、中学性時代をアメブロ全盛期に過ごしていたたので初めてではないのです。2台持ちのウィルコムでお金がかかっちゃうから10分ごとに折り返しながらミッドナイトに清純異性交遊してるのがステータスだったっようなあの時代です。

私の年の頃は21、浪人生(再受験生?)というあやふやな身分で北関東にある地獄のような自動車工場で安全と品質と青春を犠牲にしながらくるまを生産し、お金を貯めているという状況です。工場でのライン作業は単純で慣れると何も考えずにこなせるようになるので、その分人生とかお金とか主にマイナス方面に頭の回転数を使っちゃうというか、いろいろ考えすぎたりしちゃうので、ここで文字にしてご供養してあげようかなといった趣旨です。
でもそれだとマイナス方面に振れすぎだろ!って感じなので自分の好きなモノ、例えば大森靖子のこととか欅とかの音楽のこと、最近マジで生きる源になってる深夜ラジオ(私はリトルトゥースです)のこととかも書いてバランスとっていこうかなと。すきなひとやものが多すぎて見放されてしまいそうです。

ブログで不特定多数の人(を意識して)に自分の感情さらけ出すのってなかなか、ひとつ自意識を超えないとできねーぇなぁと思っているし、いつもどんなブログでも最初の記事は後でみてどうせ恥ずかしくなるんだから、肩の力を抜いてはじめていこうと思います。